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ブログ2013.10.3.(木)
12/1出演者紹介 弾き語り編②「ヤマモモ抽出物」
12月1日『星めぐりの歌』@福井HALL BEE。
出演者紹介2回目は「ヤマモモ抽出物」こと、よしだゆうすけについて。
ちなみに僕は普段は「よしだくん」と呼んでいます。ひらがなで「よしだくん」です。
出会いは僕が初めて弾き語りでライブしたあの日。6月14日の福井CHOPでした。
この出会いも何か運命めいたものを感じる。
気にはなっていた。デビューライブ前、詳細を頂いたとき、「ヤマモモ抽出物」の名前を見た時から。
大体、ちゃんと発音できた試しがない。いつも「ヤマモモちゅうしゅちゅぶちゅ」だ。「きゃりーぱみゅぱみゅ」と同じような感じである。何でまあ活動名にこんな言いにくい言葉を使うのか。そこからしてまず何か感じざるを得なかった。いや本当にである。よほどひねくれたやつに違いない。
ライブ当日、彼にはリハーサルでは会えなくて、遅れてやってきた。
僕はウォーミングアップに、あーあー声を出したり、誰かの歌を歌ったりしていた。
ちょうど彼が楽屋に到着して一通り挨拶を交わしたのち、僕は練習曲のジョン・フルシャンテの曲を歌い始めた。どうせ誰も知らないだろうし、気にすることもない。
♪Are we down for the same course
we don’t know what we start for
ここまで歌った時、彼がこちらをキッと見て、「Unreachableだ!!」と叫んだのを覚えてる。
まさか、と思った。なぜ知っているんだ。しかも曲名まで。
そう、彼もフルシャンテの大ファンだったのである。大ファンどころか、彼にとって神様のような存在であったことを、僕はのちに真夏のミスター・ドーナツで知った。コーヒーを飲みながら。
上っ面のような会話でなく、音楽が繋ぐ関係。
これを運命といわずして何という。いや違うな。運命なんて言葉は。
僕は運命論者ではない。でも、人と人が呼び合う力はあると思っている。
不思議かな、アンテナを持つ者同士は、出会うようになっているらしい。
僕はこんな体験を何度もしたことがある。
「ヤマモモ抽出物」とは、彼よしだゆうすけだけのことではない。
もともとは音楽を中心としたアートを志向する共同体のような概念で、「ヤマモモ抽出物」を名乗って活動している仲間は他にもいるということなのだ。でもバンド、みたいな感じでもない。集団、というか共同体、のような捉え方がしっくりくるのかもしれない。「ヒプノシス」みたいなものだろうか?ヒプノシスは、ミュージシャンのレコードのジャケットなどを手掛ける、有名なアート集団である。
彼は生まれながらの流浪の民だ。「ふるさと」という概念をどうやら持っていない。
子供のころから親の仕事が転勤続きで、日本各地いろんなところに住んだ。地球の裏側のブラジルにまで行ったらしい。僕の知り合いでもこういう人が何人かいるが、皆一様に「ふるさと」というものがない。
彼の孤独な魂の出自は、こういうところにあるようだと僕は思った。
彼の魂は、ひとところなくいつも流浪の運命にあるように僕には映った。
彼の紡ぎだす曲には、もの悲しさが漂っている。それも皮肉交じりの、はにかみやの。
いわゆるペーソスってやつなんだろう。
僕は初めて彼のライブを観た時、何か線が引いてあるのを感じた。
ステージと、こっち側のちょうど間くらいのところに、線が。
彼は自分の懐に、他人を入れない。
彼の歌は孤独だ。
だから、にじみ出るものがある。本当は人を求めながら、懐に入れることができない自分がいて、彼はそんな気持ちをステージ上で表現しているのだ。線が引いてあるから、ふたつの世界がくっきり見えるのだ。
僕はその後何回も彼のライブを見て(全部対バンだった)、ある時彼がその線を越えようとしているのを感じた。わかるだろうか。それはとても勇気がいることなんだ。その時おぼえた感動を、ありありと記憶している。
線を越えてズカズカと人の領域に入り込んでくる人がいる。それもまた才能。
しかし、そうしたくてもできない人がいて、そうしたくてもできない気持ちもまたある。
それは才能とは呼べないかもしれない。でも、苦しんでもそこを何とか越えようとする勇気を感じた時、本当に価値のある行為だと、僕は本当にそう思う。才能よりも、偉大な何かだ。
自己と他者。内面と外面。見るものと見られるもの。自我と他我。
世界とは我と対立するものである。他者こそ世界であり、それを自我はいかに認識するか。
そういう対立概念でもって、現代の思想は回ってきたところがある。
僕は、そういうのはもう限界しか感じない。
境界が破れる瞬間を。勇気が線を越えるその時を。
ヤマモモ抽出物。彼がやろうとしているのは、そういった、人間存在がなしうる最も価値ある苦悩と挑戦である。大袈裟か?そうだよ。人生は大袈裟だ。生命ある存在として、犬と何が違う。アリンコと、プランクトンと何が違う?何も違うはずがない。しかし僕らは人間だ。人間に生まれてきたから、僕らはいつも大袈裟なのさ。
彼は、アートに対してとても鋭敏な感性を持ち合わせている。音楽のみならず、様々な形態のアートと自らの融合を企てている。才能よりも偉大な何かは、しっかりと才能をも持ち合わせている。僕は絶えず彼に刺激を受けている。福井って刺激の少ない土地なんだけどね。彼がいてよかった。
彼は最近、弾き語りではなくバンド形態の表現に力を入れている。「アマートル」というバンドでの活動が、目下彼がやりたいことなのだ。そのこともあって、彼は弾き語りでの活動を一旦休止するという話であった。それが今回無理を言って、12月1日『星めぐりの歌』に、弾き語り形態で出演してもらえることにな
った。バンドと弾き語りを半分半分でジョイントするという目論見は、彼なしではなし得ないと思ったから。
見てみるといい。世界は線ばかり。むしろそれが普通。
僕はその線を越えるんだ。その時は、彼と一緒がいいね。
12月1日、やれるかな。やりたいね。やってみたいね。
ヤマモモ抽出物と一緒に。皆さんもどうですか。