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2015.8.15.(土)

ブルー・ムーンに抱かれて~Hello,goodbye

 例によってまたグンと時間軸を遡ること、2週間。

 7月31日、僕は春江のライブハウス、マロンパラダイスにいた。この日でこのマロンパラダイスは、店長の平野純子さんが「引退」し、今までの活動に一区切りつけることになっていた。最後のこの日は、金曜恒例の弾き語りオープンマイク。最後のオープンマイクということで、僕が到着して店に入った時にはもうすでに沢山の人が集まっていた。僕もこの2年福井で動き回ってきたつもりだが、半数以上が知らない人で、ここに10年以上通っている、という人もいたりして、まだまだ僕も新参者に違いないんだな、と思わされた。


 マロンパラダイス。どちらかというと、古き良き音楽を愛するファンが集まる感じのライブハウスである。弾き語りのイベント『F1』~『裸の魂』の会場にもなった。創業は13年?ということで、昔からあるような佇まいだが、実際はまだまだ若いライブハウスと言っていい。

 

 僕は入店早々にテキーラを飲んで、しかも疲れていたものだから猛烈に眠くなってしまい、駐車場の自分の車に戻ってしばらく休むつもりが2時間近くワープしてしまった。いけないと思い店に戻ったが、最後の宴はまだ続いていた。純さんに花束などを渡すセレモニーは、すでに終わった後だった。むむ。

 僕がマロンパラダイスに出入りするようになったのは、2013年の11月くらいだ。ちょうど同時期に片町のBarUTaにも初めて訪れている。前の月には山田治久さんの紹介で初めて鯖江のCafe Ragtimeにも出演していて、ちょうど活動を広げていこうとする、まさにその矢先といった時期だった。マロンパラダイスも、定期的に「オープンマイク」というものを開催しているということはウェブサイトで調べたりして知っていたので、ある夜にこの店のドアを開いて中に入っていったというわけだ。

 

 もちろん知り合いなどひとりもいる訳でなく、僕が初めてオープンマイクで歌った日は店長の純さんも石川のライブハウスに出張中でいなかった。丁度僕がステージ上で最後の曲を歌い終えようかという時に、出張から帰ってきて、店に入ってきたのを覚えている。


 そのうちちょこちょこと出入りするようになって、知り合ったのが山内こうさんだ。ヤマコーさんとの出会いが『裸の魂』に繋がっていくのは、このブログでも何度も書いた気がするが、何気ない出会いから大きな急展開を迎えることもある。福井ノーサイドに出演するキッカケも、実はマロンパラダイスでの雨ノ日ノ男との出会いが発端になっている。竹内太三修さんとの出会いも最初はここだった。マロンのオープンマイクはいろんな出会いをもたらしてくれた。

 午前2時を回っても、まだオープンマイクは続いていた。藤本まきとの出会いももちろんマロンパラダイスだ。彼女はマロンの箱バンのボーカルをしていたのだ。


 東京からも駆けつけた人がいた。東京には弾き語り系のライブハウスもたくさんあって、オープンマイクをやっているところもたくさんあるだろうが、福井できちんとオープンマイクをやっていたのはマロンだけだと思う。8月からは体制が変わって、オープンマイクがなくなってしまったが、貴重な場、貴重な文化が失われてしまったんじゃないか、という気がする。このオープンマイクという場は、どこか別の場所で作れないものかと僕も色々考えている。

 午前3時くらいになってようやくエントリーした人が全員歌い終わった。僕は寝起きでボケていたというのもあったし、後がつかえていたのもあるし、1曲だけ歌わせてもらった。

 最後まで残った人たち。また翌日からそれぞれの道を歩き始めるのだろうと思う。マロンパラダイスが変わっても、ここでできた繋がりはこの先も生き続け、新たな潮流のきっかけになっていくだろう。

 最後に、店長平野純子さんやスタッフの山田こうしくんに感謝を。『裸の魂』はマロンあって、彼らあって実現できたものだ。他のお店ではきっとできなかっただろう。お陰様で、福井の弾き語り/ソロに新たな交流が生まれ、短期間での劇的なレベルアップを遂げることができた。その全面的な理解と協力に、心から感謝の気持ちを送りたい。本当にありがとうございました。

 

 帰り道の、西に傾いたブルームーンが、新しい夜明けを指し示していた。東の空は、確かに白み始めていた。

 これは終わりではなく、始まりの合図だと、後の人々は語ることだろう。

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